ブックタイトル鉱山2020年1月号

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概要

鉱山2020年1月号

部会報告(分析部会)2019年現地研究会見学記-柵原鉱山資料館・卯根倉鉱業株式会社・エコシステム山陽株式会社-三菱マテリアル株式会社中央研究所原田哲雄2019年11月,日本鉱業協会分析部会において現地研究会を開催し,柵原鉱山資料館,卯根倉鉱業株式会社,エコシステム山陽株式会社を訪問しました。11月28日,岡山空港にて部会メンバーと合流,用意いただいたバスで一路,岡山県のほぼ中央部に位置する美咲町の旧柵原鉱山へと向かいます。車窓を流れる景色は,山間部に入るにしたがって晩秋の色をますます濃くし,緩やかな流れの吉井川に赤や黄色に紅葉した山の木々が映り込み,日々の業務でささくれた心を一時潤してくれます。かつてはこの川を高い帆を掲げた高瀬舟が往来し,川下からは海産物や生活物資を山間部へ送り,川上からは年貢米や木材を運び,活発な経済活動が行われていたことに思いをはせていると,最初の訪問地である柵原鉱山資料館に到着しました。柵原鉱山は,かつて主に硫化鉄鉱を産出した鉱山でした。硫化鉄鉱には硫黄が52%,鉄が45%含まれており,硫黄は硫酸や化学肥料の原料として,鉄は弁柄や磁性体のもととなる酸化鉄の原料として用いられてきました。最盛期は1960年代,最大採掘量80万t,1万6千人もの人々が働く東洋一の鉱山として名をはせましたが,安価な硫化鉱の輸入量の増加,石油精製時における回収硫黄の市場流入に押され次第に採掘規模を縮小,さらに1980年代後半の急激な円高のあおりを受けて,1991年に閉山となりました。現在は坑道のほとんどが水没していますが,最深部は地下1,000mに及び,総延長距離は1,400kmに達していたとのことです。柵原ふれあい鉱山公園内にある柵原鉱山資料館。一階は,最盛期を誇ったころの鉱山で暮らす人々の生活の様子が展示されています。当時の鉱山住宅や商店を実物大で再現したコーナーでは,一歩足をふみいれると当時の人々の会話が聞こえてきます。同じ中国地方の山口県の生まれである私にとって,その岡山弁はとても懐かしく感じ,しばし郷愁に浸っておりました。ほかにも,初期に行っていた高瀬舟による輸送にとって代わり,1923年から1991年まで,閉山に伴って廃線となった片上鉄道で使われていた道具などが展示されていました。つづいて,竪坑を下るような演出がされたエレベーターを降りると,地下1階は鉱山内部のような作りになっており,掘削の様子を実物大で表した模型が迎えてくれます。展示は,実際に使用していた削岩機や坑道内を行き来していた鉱石を運ぶトロッコ,柵原鉱山で採掘していた鉱石などが充実しており,中でもアクリルで作成された鉱床と坑道の巨大立体模型は圧巻で,柵原鉱山の規図1柵原鉱山資料館での集合写真-62-鉱山第782号2020年1月