ブックタイトル鉱山2019年7月号

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概要

鉱山2019年7月号

部会報告(休廃止鉱山専門委員会)令和元年度日本鉱業協会休廃止鉱山専門委員会現地研究会報告日本鉱業協会休廃止鉱山専門委員会三菱マテリアル㈱佐藤公一令和に元号が変わった後,初めての現地研究会が,5月30日(木)~31日(金)に,新潟県佐渡市にある㈱ゴールデン佐渡(以下,「G佐渡社」)の佐渡鉱山にて開催され,各社委員及び日本鉱業協会事務局合わせて11名が参加した。佐渡鉱山は新潟市から約60km離れた日本海上に浮かぶ佐渡ヶ島にある。佐渡ヶ島は北西に大佐渡,南東に小佐渡と呼ばれる山脈が走っており,両山脈の間には米どころである国仲平野が開けている。今回訪れた佐渡鉱山は,この大佐渡の南部に位置する。佐渡鉱山の歴史は西三川砂金山に始まり,古くは今昔物語にも記され1100年頃の発見とする説もある。次いで,鶴子銀山が1542年の発見とされ,同銀山の山師により1601年,今日に総称される「佐渡金山」の代名詞ともなっている相川金山が発見された。佐渡鉱山は江戸幕府の貴重な財源となり,発見当初膨大な量の金が産出され,佐渡鉱山における一つのピークがこの時期となった。その後,盛衰を繰り返しながら,佐渡鉱山は明治維新とともに官営に,明治29年に三菱合資会社に払い下げとなり,太平洋戦争中に再度金産出量のピークを迎える。その後も探鉱を行いながら操業が続けられるが,鉱量の枯渇によって,平成元年に操業を停止し,その長きにわたる鉱山史の幕を閉じ,現在は休止閉山状態にある。閉山までの産出量は,金78 t,銀2,300 tと日本最大級を誇り,日本の発展に大きく貢献した鉱山である。今回の研究会では,参加者は新潟港に集合,国道350号の一部に指定されている新潟港から両津港への航路をジェットホイルにて約1時間航海し,両津港からバスにて佐渡ヶ島の米どころ国仲平野を横断し,約1時間かけてG佐渡社へと向かった。G佐渡社では,一般の見学ルートである世界遺産コース,道遊坑コース,道遊の割戸,資料館に加え,現在は一般の立ち入りが禁じられている南沢疎水坑道を見学した。参加メンバーのほとんどは佐渡を訪れることが初めてであり,全員興味深く説明に耳を傾けながら,佐渡金山の遺跡を見学した。いずれも興味深く見ごたえのあるものばかりであったが,その中でも特に参加者の興味をひいたのは,現在も使用されている南沢疎水坑道で江戸時代に掘られたとは思えないほど精緻なつくりであることである。佐渡鉱山の歴史は同時に水との戦いであり,手回し式の揚水機での揚水が行われていたほどである。南沢疎水坑道は,このような背景のもと1691年から9年間かけて掘削された延長約1kmの坑道である。(写真1)ノミを片手に人力にて掘削されたのであるが,驚くべきは神業ともいうべきその高レベルな測量精度である。南沢疎水坑道は両端の山肌からだけではなく,中間に2本竪坑を掘り下げ6方向から向い堀り工法にて掘削されているが,互いが合流するときは数十cm程ずれていただけであり,江戸時代にこれほどの精度でこの坑道が掘削されたことは驚くほかない。さらに面白いことに,この坑道は大人でもほとんど屈むことなく歩くことがで-51-鉱山第777号2019年7月